読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

割って飲む。

認知バイアスの美味しい飲みかたを研究するブログ。

「悟りを開く」の意味が分かったかもしれないので書いておく

すこし悟る

 

 

結論から先に書くと、悟りとは「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!」ということだと私は思っている。

どういうことか、説明していきたい。

 

 

f:id:yokoamijiro:20161106120407p:plain

 

言うまでもなく、人は五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)でできている。また、五官(目・耳・鼻・舌・皮膚)で受けた情報が脳で統合や編集をされて、思考や感覚になっていく。

 

例えば、私が大きな株式会社だとしよう。私の脳は経営室で五官は現場だ。株式会社私では、常に膨大な量の情報が現場から経営室に上がってくる。経営陣たちは、その情報をもとに「あーでもない。こーでもない」と言いながら物事を決定していく。

 

最初は良かった。会社の規模が小さかったこともあるが、経営と現場は非常に良いバランスで繋がっていた。現場もあらゆる情報を経営側に上げていたし、経営側も現場をきちんと把握した上で決定を行っていた。

 

しかし、最近の株式会社私はどうだろう。創業から何十年と経ち、世間からも立派だと認められる大企業へと成長した。確かに外見は良い。しかし、内部の人間たちはもう薄々分かっている。「この会社、ヤバくねえか?!」と。

 

現場は、経営陣が傲慢になり過ぎていることを知っている。経営が現場を全く見ずに決定を下すことが常習化しているからだ。その結果、最近の株式会社私では現場感覚と著しくズレた決定ばかりがなされている。

 

今では、経営陣に対して現場も最低限の情報しか上げなくなった。さらに、都合の悪い情報を改竄して経営陣に上げることも増えた。

 

こんな会社を見て、あなたならどう思うだろうか。「経営陣はもっと謙虚になって、現場の声を聞きに行け。そうしないと、会社が傾きかねないぞ。」このように思いはしないだろうか。そう、この経営陣が一旦経営室を離れて現場の声を真摯に聞きにいく行為こそが、瞑想やマインドフルネスなのである。

 

f:id:yokoamijiro:20161106120538p:plain

 

 

 

 私はそこまで至った経験はないが、瞑想が深くなると見えるものがただの光のかたまりだけになったり、音を連続したものとして聞こえないため、メロディを楽しむことが困難になるらしい。これは、経営陣が会議室を完全に空にして現場に張り付いている証だろう。

普段は、光のかたまりを脳で統合編集をして「あー、キレイな女性だ」となるわけだ。個別の音を脳で連続させて「この曲ヤバくね?!」となるわけである。

そして、経営陣が現場に行ったまま経営室に一生戻らない行為こそ「悟りの境地」みたいなものではないかと思う。

 

瞑想が流行るにつれて、瞑想難民者が増えているらしい。瞑想難民者とは、瞑想を進めるにつれて精神を病んでいく人たちのことだ。

この現象も、先ほどの会社の例で説明したい。この瞑想難民者たちの場合も、経営陣は現場の声を聞く必要性は感じている。しかし、現場の声を現場に聞きに行かずナゼか経営室から聞こうとしている。これでは、現場の生の声が聞けるはずもない。すでに、現場は経営陣に不信感を抱いているのである。お前たちの生の声を聞かせてくれといくら経営室から訴えたところで、現場がそれに従うわけはない。

瞑想難民の原因はここにあるのだと私は思う。

 

マインドフルネスを行えば健康になれる。仕事ができる。人間関係がうまくいく。良いことづくめだと言われている。これは、株式会社私が見事に立て直しに成功した場合に起きるものと思われる。

経営陣は、一度会議室を空っぽにして現場に向かった。そこで、自分たちがいかに現場の情報を拾い上げられていなかったか、歪曲されたものばかりが上に上がってきていたのかを痛感する。そこで、これからは本当に現場の声を大切にし、経営に活かすことを固く誓うのである。そうして、傾きかけていた株式会社私は見事に再生に成功する。

これが、マインドフルネスの成功例だと私は思う。

 

ちなみに、経営陣が現場を真摯に見るという行為は、仏教でいうところの智慧だと私は思っている。いわゆる、ありのままの私が分かるという状態だ。

そして、現場に降りてただ現場を見るだけではなく、現場に加わって一緒に汗をかく行為が慈悲ではないかと私は思う。

現在、広く伝わっている瞑想やマインドフルネスは、主に智慧を語っていて慈悲に対してはそこまで気にかけられていない印象がある。

ということで、慈悲についてはまた別の機会に詳しく書いてみたいと思っている。

 

 あと、最後に言い訳を。実際、意識を脳ではなく五官や体性感覚に完全に向けたとしても、当然脳は何かしらの反応を行っているものと思う。ただ、その反応の仕方は通常とは異なるものだと思うが。脳を空っぽというのは、分かりやすく書きたかったからである。また、私が脳の仕組みをよく分かっていないからでもあるが。その辺、どうぞご理解くださいませ。